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+++2008+++
+++9/3+++


今、こうして煙草ふかしながら余韻を灰皿に捨てている。

REFUSEが9周年を終えた時、既に創造が始まっていた新しい世界。
誰もが想像すらしないが朧げな夢としては描くであろう世界。
REFUSEをスタートした時は朧げな目標の一つだった世界。
誰も目にする事は無いままに夢として諦めてしまうような世界。

ナイトラインを描きながら長い時間ずっと頑に張り続けてたんだ、俺。

カタカナで書くような「ガンバル」って言葉で通俗的に形容されるモンじゃ無い。
単純に努力するって意味でも無く、頑に固まってるんでも無い。
頑に張り続けてんだ、俺。
あのスピードの中にリズムの中にラインの中に真実が在るって心臓に刻み込みながら。

去って行った仲間、失った物、費やした時間。
REFUSEとしてやるべき事、Loud Style Designとしてやるべき事。
いつまでも頑なに張り続ける俺はSPEED SPECTERさ。
なぁ、お前は頑に張れてるのか?

長い間、待たせちまったな10年前の、俺。

WE BUILT A WORLD OUT OF ANARCHY

さぁ、新しい世界を始めようじゃねぇか。
次の旅が待ってるぜ、俺。



+++9/22+++


一つの答が自分の中で導き出されるまでテーマを変えずに考える、俺。
答が何処に在るのか、誰が知っているのか、では無く、
事象や現象と自己の思考を合わせ考える事から導き出す答。
其処には誰かに与えられる正解と言う名の満足は無く、
持論や自己哲学とも言い換えられる納得が存在するのみ。
簡単に言えば単なる話のネタが一つ増えるだけ。

最近のテーマは「欲求不満のメカニズム」ってヤツだった。
答だけを書いておこう「欲求不満」は「本能」を基にし、
人間独特の「権利の主張」によって起る。
本当に恐ろしいのは「権利の主張」を行動に移した時だ。
大概、こーゆー答を導き出す時には直感から入る、俺。
後は簡単、言葉を分解し、伴う行動を分析し、心理状況を理解する。
自分が知り得る情報、体験し得た状況、想像し得る事象を合わせ、
最初の直感へと繋がるかどうかが答と成るか成らんかの分かれ目。
別に実践をお薦めしやしねぇが、直感を答として納得するには必要なプロセスだ。

で、もってさぁ。
こうして文章を書く事も欲求の一つであるにも関わらず、
まるでそんな時間すら無い程に様々な事があった訳なんだが、俺。
その辺の様々は次回にでも持ち越しておいて、
冒頭の「欲望のメカニズム」とは別の気不味い話でも書こうか。

毎日で無いにしろ何度か同じ事が重なると、其れが日常とか常識って事になる。
よく喰う弁当。よく会う人。よく着る服。日々の通勤通学や挨拶。
いつのまにか慣れ親しんだ事柄は日々の常となり常識となるが、
水道の蛇口をひねれば水が出るなんてのは、平和ボケって危険が同居する常識だ。
がっ、危険性を考慮しての行動よりも安全性の中に在る常を人は求め易い。
例えば「こんにちは」と誰かに挨拶されたら、
相手に「アンタ誰?」と知らない誰かであることを訪ねるよりも、
軽く会釈するか挨拶で返そうとするだろう。
ひょとしたら知り合いなのに自分が相手を憶えていないだけかもしれないし、
もしかしたら相手はコミュニケーションを取ろうとしてるだけかもしれない。
不快にさせたり怒らせたり、自分が常識の無い人だと思われるよりも、
挨拶には挨拶でという安全性の中に在る常識で対応してしまう。
言い換えるとこれは「気不味い空気」になりたくないって気持ちの表れだ。
つまりは安全性の中に在る常識で某かに対応しようとするってのは、
自分の弱さを守ろうとする気持ちなんだが、
某かの勧誘や営業は、そんな気持ちを利用するって危険性も背中合せに存在する。
まぁ、気不味さに対して何処まで自分が耐えられるかが、
物事を如何にハッキリ言えるかに関わってくるのは間違い無いだろう。
どの常識が正しいとか、悪であるなんて判断は個人ですればいい。
法律よりも先に倫理観は人間の中で生まれ日常と道徳心が常識を生む。
気不味さは他人との常識にズレを生まない心理的戒めとも言い換えられる。

さて、実際にあった気不味い話にしてみようか。

毎朝って程に毎日同じ行動はとっていない、俺。
どちらかというと毎日行動のしかたはバラバラで、
規則正しく態度良くって日常は、設けたくとも無理な話。
それでも一日と言う時間で区切った時に多く生息するのは、
当然ながら東京都江東区森下近辺になるわけだ。
そうした場合にある日、幾つかの事を理解し始める。
自分にとっての日常や常識では無く、
街の日常、街の常識ってぇ最高潮に気分が悪くなる時もある奴。
例えば、REFUSEが大島に在った時は、
夜中に店先を暴走行為に勤しむ少年が通るのは日常を超えて常識だった。
そんな時に「頑張れ後輩」って手を振るのは日常だった、俺。
深夜過ぎに酔っ払いが浮浪者と下呂と涙に濡れてのたうち回るのも常識だった。
そんな時に「頑張れ先輩」って店先から排除するのは日常だった、俺。

つまり、街の常識を理解し馴染むと自分の日常も重なり合ってくる。
森下って街は狭い範囲で生活の殆どを済ませて終える部分がある。
そのせいか、街に住む人間が顔見知りである場合が多く、
顔は知っているが、名前は知らない「何処其処の〜さん」みてーな間柄。
知り合いと呼ぶには遠いが、知らない人とは言い切れない人間関係が多い。
俺?俺かい?
森下近辺だと「黒い建物のお兄さん」か「刺青の恐い人」らしい。
よくそんな事を言われるので、多分そーなんだろう。
街の人間達に固有名詞を知ってもらいたくも呼んで欲しくも無いので、
そんな事はどーでもいい話ですらない、俺。
問題は、毎朝って程でも無いが週に何度かスケボーやってると会う人々。
朝の6時〜7時ぐらい早めの出勤時間帯に街をクルージングしてる時の話。
1、最初から見向きもしない人達。
2、見て見ぬ振りする人達。
3、見ててこっちが振り返ると見て無かった振りする人達。
4、「カッコイーねーニイチャン」ってのは土木関係の人達。
ここで少し思う、極端な分析。
1は視界に入って無い。
2は関わりたく無い。
3は「何?アイツ」ぐらい思ってるのを悟られたく無い。
4はできれば自分も遊んでたい。
分析するまでも無く、こっちから声を掛ければ良く判る。
1、2、3の人達は聞こえない振りで足早に去って行き、
4の人達は「えっ?乗ってみていいの?俺、乗れっかなぁ」
ぐらいで暫し一緒に遊ぶ。
すなわち1、2、3の人達は安全性の在る常識での対応として、
シカトするってぇ行動に出る訳だ。
そこには、相手したら何言われんだか解らないって恐怖、
相手して「気不味い空気」になりたくないって感覚が存在する。

で、もって話を続けると。
見られてようが見られて無かろうが、好き勝手に滑ってるだけなので、
何処の誰が気不味くなろうが関係ないが、
たま〜に「おはようございます」ってオバちゃんやジイさんがいます。
あ〜良く行く呑み屋のオバちゃん、何処其処の大家のジイさん。
ってな具合に名前は知らない間柄の人達。
そんな中に一人、
通りすがりに毎回会釈をしてくるチャリに乗ったオバちゃんがいる。
歳の頃なら50代中盤、太り気味で濃い目の化粧、黒髪は明らかに白髪染め。

ん〜・・・。
ん〜・・・ん〜・・・。
「何処其処のオバちゃん」の何処其処が判らない。
こういった場合には、その人との間柄・人間関係的に、
オバちゃんが実はオジさんだったとしても大した問題では無く。
何処其処が何なのかが重要になる。
ん〜・・・判らない、俺。
まぁ、だからと言ってチャリとスケボーの一瞬の交差での会釈は、
誰だか判らずとも気不味くも無く、そこまでの疑問でも無い。
世の中には、機嫌が良けりゃ知らない人に挨拶したり、
犬や猫に話し掛ける人もいるし、郵便ポストに恋をする人だっているだろう。
チャリで勤務先に向かっているであろうオバちゃんを呼び止めるまでも無いし、
よくよく観察してみりゃ通りすがりの色んな人に会釈してるオバちゃん。
それがオバちゃんの常識もしくは良識なんだろう。

軽い疑問は、ひとたび自分の中で合点がいってしまうと何も思わなくなる。
「そういう事」や「そういう人」って決める事は、
一つの納得の為に必要だが、実はそうで無かった時に修正がし難くなる。
常識は自分を納得させる一つの定規のような物だが、
覆される可能性の考慮や他の常識の存在を否定しきらない気持ちも重要だ。
自分の中で勝手に決めつけた、
件のチャリのオバちゃんは「そういう人」ってのは、会釈の理由を知って覆された。

先日の展示会。
新しく創ったGARAGEにはデッキテラスが在って、
そこでコーヒーの一つでも飲んでやろうかって気分になる場所だ。
だが、残念な事に我らが株式会社HEAT代表取締役・小野田将和氏。
忙し過ぎてか、考えるのをやめているのか、
氏は十三のブログを更新しないだけで無く、コーヒーメーカーも買ってくれない。
当然の様にコーヒーを何処其処かに買いに行く事になる。
そのコーヒーの何処其処が、件のオバちゃんの何処其処だった。
GARAGE近くのコーヒーショップ。
店に入る。直ぐさま視界に入って来たオバちゃん。
一瞬の理解。
何の事は無い、街の皆が利用するコーヒーショップのオバちゃん。
訪れるのが街の大多数ならば、無差別の会釈も当然だろう。
軽い疑問が解けた晴れやかさと決めつけの解除、俺。
オーダーの際にオバちゃんの顔をジッと見る。

オバちゃん「いらっしゃいませ。店内御利用ですか?
                     お持ち帰りですか?」


俺「・・・思いっきし鼻毛出てますよ。
             右からブッてぇのが一本」


ブッ!!ゲホッゲホッ・・・。

カウンター背後のテーブルからコーヒーを吹き出した奴がいた。
そして凍り付いた店内・・・・・・。


おそらく。ではあるが店内の人間は気が付いていたんだろう。
しかし、相手を傷つけないとか、余計な事は言わないという考え、
つまりは「気不味い空気」を生みたくない為に使用する安全性の在る常識、
黙して語らずって方を選択していたんだろう。
気不味くは無い。何も気不味い事は無い、俺。
鼻毛だかと言う事で無くともバッサリ斬って捨てた方が当人の為。
凍り付いた店内に弱々しく「失礼しました・・・」
とオバちゃんの声が通りカウンターの奥に消えて行くと、
違う人間がオーダーを取りに来て店内は日常を取り戻した。

何の事は無い。
気不味かったのは言えずにいた人達だ。
黙して語らずが良識と捉えるか、情けは人の為成らずと捉えるか。
たかが鼻毛一本に相対した時、そいつの人間性が問われる。

ただね・・・・。
その一件からも朝には見かけるオバちゃん。
行き交う人に挨拶・会釈をしながらチャリで通勤。
スケボーに乗りすれ違う俺と眼が合っても、
そこに会釈という常識は無くなった・・・・・・・。

ん〜・・・。
んっん〜・・・。
・・気不味い・・・・。


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