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+++2008+++
+++4/1 +++


「久しぶりだな」
この言葉を使う時に必ず脳裏に浮かび上がるのは「BLACK RAIN」の松田優作。
いつか、あんぐれー見事な言葉の使い方をしてやりたいと思い続けて20年近く経つ。
理想に到達するとは、果てしなく険しい道のりだと日々思い知らされる、俺。
まぁ、理想像の話は別にして、
問題は
「久しぶり」って状況のプレミア感にある。
何が問題かってぇとだな、俺。
よく言うでしょ?
「まぁまぁ、久しぶりなんだし」って、しょ?
「久しぶり」ってだけで、多少のミスやロスや特上ロースが許される。
逆に
「久しぶり」の状況をブチ壊すと、孫の代まで呪殺されそうな事になる。
息子達が結婚記念日に用意してくれたハワイ旅行券で、
久しぶりに夫婦水入らずで旅行に出かけようと、既に南国気分で成田空港に着いた時、
ダンナの携帯に必死で口説いてたキャバクラ嬢から着信があってもシカトするだろう。
カミさんは、20代の愛人に「実家の母が病気で来週まで会えない」ってメールする。
そんぐらい
「久しぶり」の効果は絶大だ。

要するに、日頃中々無い状況や行動は、その物珍しさから独自の稀少価値を生み、
他人には侵し難い領域に達する。
こじゃれたカフェで「お蕎麦屋さんのカレー」をオーダーする奴は、
日頃から蕎麦屋に通ってカレーを喰いはしない。
こじゃれたカフェで「お蕎麦屋さんのカレー」を喰らう物珍しさに価値を求める。
そこが蕎麦屋ではなく、こじゃれたカフェである時点で、
「お蕎麦屋さんのカレー」にはなりはしないという事実は吹っ飛んでいる。
「久しぶり」って状況はそれとよく似てる。

まぁ、何が言いたいかってぇとな、俺。
先日、徹夜の作業明けにいつものコンビニ早朝ラッシュ。
雑誌と缶コーヒーを握りしめ土木作業のアンちゃん達とレジに並びながら思った、俺。
「久しぶりに肉萬みてーの喰ってみようかな」
会計時に「キーマカレー萬」を注文し、金を払って工房へと戻る。
作業を再開させる前に一休みしようかとコンビニ袋からコーヒーを取り出し、
続いて「キーマカレー萬」を取り出そうかとすると入って無ぇ!!
まさか、道すがら落とした訳でもあるまいが、
普段なら食い物の一つや二つ入ってなかろうがメンドクセ−ので、
コンビニに戻って文句言う事も無くコーヒー飲んで作業を始める、俺。
しかしこの時は違った!!何故!?そう、
「久しぶり」だったからだ。
コンビニに戻り店員のニーチャンに
「オメー、俺のキーマカレー萬が入って無ぇんだけど、
                       どうなってんだ?」

焦って店員のニーチャンが言う
「あれっ?いや、さっき確かに入れましたけど」
早朝ラッシュのコンビニ店内で叫ぶ、俺。
「テメ−が入れてようが無かろうが、
             入って無ぇもんは入って無ぇんだよ!!」

対処に困った顔の店員が何か言おうとした、その時。俺の背後から声がした。
「コレの事?」
振り返るとそこに土木作業員のアンちゃんが、手首にコンビニ袋をぶら下げながら、
片手でヤングマガジンを立ち読みし。
もう片方の手に喰いかけの「キーマカレー萬」を持ち、口をクチャクチャ言わせている。
「袋開けたら買って無いのに入ってて、
              ラッキーと思って喰っちった、ゴメン」

自分が入れる袋を間違えた事に気が付き、更に困り顔の店員を後目に、俺。
「俺の奢りだ堪能しろよ」
土木作業員のアンちゃんの肩を軽く叩きコンビニを後にした。



・・・・・・・・・・さようなら俺の「久しぶり」。


+++4/2+++


そーいやーさー、俺。
しばらく、こーいった文章とか書かなかったもんだから、
「最近、何やってんですか?」とか聞く奴がいるんだよ。
他にも「ブランドやめちゃったんですか?」とか「仕事して無いんですか?」とか。
そりゃーもー、どうでもいい憶測で勝手な事を言ってくれます。

つまりは、情報を供給されている状態に慣れ親しむ事によって、
知り得なかった物事が知り得て当然となり、日常となる。
そこへきて、こうした情報発信がなされていない状況になると、
継続している物事が、あたかも消滅してしまったかのごとく錯覚する。
日常は、自ら形付ける事によってのみ存在していると知るとは、こーゆー事、俺。

でぇ、もってな。
実際問題に何してたかってぇ話。

はい、まず一月の俺。
年明け早々、オーバルシックスのマサにそっくりな闇金のデブ投げ飛ばして、右肩脱臼。
間抜けな後輩のせいでロクデモネー現場に呼び出され乱闘。
マサにそっくりなアイパーデブに右腕掴まれたまま無理矢理ブン投げたら、脱臼。
状況が状況だっただけに自分でハメでそのまま乱闘。
もーいいかげんによ。30過ぎてクダラネェ喧嘩とかしてもダゼェ奴だなって話だ、俺。
その後、家も無けりゃ、健康保険も無ぇ俺は病院にも行かず、
ひたすら拳立てをすることによって痛めた肩を鍛え直し。
そんな年明けから新会社スタート初日の1月7日には、
代表取締役のダ−さんが急性胃潰瘍で救急車にて運ばれました。
なんともメデタイ2008年のスタートだ。
そんなこんなで、一月は出張という名目でTAUJANの原さんトコ行ったり、
F・A・Lの山本の店のオープン祝いに行ったり、
どっかしら出掛けてる事の多い月だった。

はい、つぎ二月の俺。
正直、とんでもねーキツイ一ヶ月だった。
サイトのリニューアルの為に撮影だ文章チェックだデザインだ等々。
ヤル事が多過ぎて、ってのは毎度の事。
そこに加えて雑誌の撮影、展示会「FUEL」の新作やらディスプレイ製作。
マジで、そろそろ本気で構成員を増やさねぇとヤバい。
ちょっくら本日は、そんなグチャグチャしてる中で行われた、
「ストリートアクセNEXT FILE15」のスタイリング企画の模様を、俺。


しっかし、寒ぃ日だった2月25日。
今回のモデルは勇人君とムトゥーメン。
前号まで「NEXT FILE」でやってきたスタイリングの企画とは違って、
アーティストではなくモデルを起用してのシューティング。
モデルの勇人君はファッション誌の方では何度か一緒に仕事してるスケーター。
彼の何がいいかって、和彫りの入ったシャープな身体と延びまくったロン毛。
何より普段のスケーターとしてのスタイルがカッコイイ。
そこを活かしつつ、どんだけ変化させるかが楽しかった。


もう一人モデルをやってくれたムトゥーメンは、元々ウチの客だったのにも関わらず、
事あるごとに仕事を手伝わされたり、ツアーのレポーターやらされたり、
何かと構成員扱いされて手伝わされてる悲しい男。
普段からシルバーアクセを常備してる男はスタイリングでどう変わるかをやってみた。


で、もって今回もカメラマンは、酔いどれ巨匠の加藤さん。
何と言ってもロケの良さを引き出せるかどうかは巨匠次第。
上手い具合に天候にも恵まれやがったこの日は、スピーディーに撮影を行えた。


しっかし、何が一番大変だったかってぇとモデル経験値0.5ぐらいのムトゥーメン。
全身のトータルバランスの中でシルバーアクセのエッジ感を出すのが、
俺にとってスタイリングの基本。
見えてようが見えてまいが、写真自体がカッコ良きゃいい、俺。
とは言えど、要所要所でアクセが目立つ様な構図とポージングにしなければならん為、
ムトゥーメンの動きの固さを巨匠とのコンビ打で指導。
まぁ、アクセ自体の見える見えないは、雑誌側の要望ってやつでね。

撮影当日はF・A・Lの山本も遊びに来てくれたりして張り詰めた感じじゃ無く、
和やかな空気で終了。
撮影終了後は酔いどれ巨匠が本領を発揮し、編集部の河口さんと共に呑み。
お疲れさんでした。

二月の話書いてたらダルガッチョくなってきたんで三月の話は後日で、俺。



+++4/7+++



だからさぁ、時々思うんだよね。
もし、
犬が犬じゃ無くて猫だったらどーすんの?って、俺。

生き物って何かしんねーけど、どっかの誰かがいつの間にやら名前付けてるじゃん。
でも、それって世界各国チゲーでしょ?っしょ?
犬も英語圏ではDOGとかなっちゃうわけだし、もし、だよ。
人間は人間で言葉は違えど、生物として共通の意識みてーのがあって、
日本人が気分が悪い時に顔が青ざめてるとか言うように、
英語圏でも気分が落ち込んでる時にBLUEってな表現をしたりする訳だ。
完全に一致するような事では無くても何処かしらに共通する部分があり、
人類皆兄弟ってな感じがするよなぁ。
じゃあ、さあ。
鳴いたり吠えたりする動物達には人間には解らない動物語みてーのがあって、
人間が「犬」って呼んでる生き物が本当は「猫」だったらどうする?



・・・・どーもしねーか。始めっから動物語解んねーし。
まぁ、ムツゴロウさんは別としてもな。

でー、何だったかと言うと、3月の話ね。
そりゃーもー、展示会の準備やらで月初めからどーにもなんねー状況。
特に今回は、展示会当日よりも先に製作を終えておかなければならないって話で、
そいつがどーゆー事かと言えばだねぇ。
昨年まで行ってきた展示会では当日ギリギリまで製作。
とにかく物を観てもらうって事でプライスとかは後日お知らせで、
展示会に来ない販売店にもカタログ送って、
FAXでオーダーってな事をしたりしてたんだけども。
今年からは新会社「HEAT」の小野田社長の命令により、
事前に製作を終え、しっかりプライスを決めカタログを作りオーダーを取りなさいと。
要するにシルバーアクセ業界の慣習みてーになってる、
実物も見ねーでカタログオーダーってのを無くしましょうって話。
もう、展示会にも来ねートコと仕事したくねーし、俺。
ってな事だった為に展示会5日前に製作を終わらせ、
そっからLoud Style Designでは今回が初となる社内会議。
「FUEL」ってタイトルの意味を今一度より深く説明し、
新作に対する説明やら何やらして、このアイテムは有りとか無しとか。
まー、最終的に強引に決めんのは、俺。
そっから、今度はディスプレイの配置やら来場者のタイムスケジュールやら、
連日徹夜で動き回る組員達。
毎度の事ながら御苦労さんです。

そんな忙しい展示会準備中の事。

剥製やら人骨やら、展示会の度に増えてく死骸の数々。
今回は虎の剥製を入手した。
剥製ってヤツは欲しい人にとっては幾ら出してでもって物だが、
必要無い人には邪魔でしか無い物。
特に虎ぐれーのサイズになると置き場に困ってしょうがねー。
地方のリサイクルショップには、バブル景気真っ盛りの頃の遺物みてーな、
邪魔になっちまった剥製が可哀想な状態で売られてたりする。
この度、REFUSEにやって来た虎もそんなヤローだ。
その虎を購入した「マツザカリサイクル」って店のヤローが実に摩訶不思議。
2月の末ぐれーに偶然その店に行ったのだが、
入ってすぐに目に付いた虎は、やる気のないクリスマスの飾り付けをされたまま、
悲しい眼で救いを求めていた。
店員が外国人しかいない「マツザカリサイクル」レジに座る女性に話し掛けると
「オトーサンニナイトワカラナイカラ」
「はぁ!?」
「ワタシニホンゴアレダカラ」

オトーサンの意味もアレが何なのかも解らない。
日本語でも英語でも無い異国からやって来た女性を相手に何とか説明し、
REFUSE まで運んで欲しい旨を伝えると
「オトーサンノメイシネ、ワタシトクカラデンワシテ」

渡された顔写真入りの名刺の名前は「松坂ハビエル」

・・・オトーサンも異国の人かよ。

その後、何日か掛けてオトーサンこと松坂ハビエルに電話で説明し、
展示会二日前に運んでくる事になったが、しかし。
運んでくる約束の日の早朝から何度となく松坂ハビエルの電話。
「コウソクドウロハナンゴウセンダッケ?」
「ドコデオリレバイインダッケ?」
「シュトコウッテアノグルグルシテルヤツダッケ?」

何度も同じ事説明して、ものすげー頭が痛くなった、俺。
そんでもって松坂ハビエルのヤローは一回の電話を切る前に必ず
「ゴメンナサイ、シャチョサン」
とかヌカシやがるもんだから最高潮にムカついてきて、
REFUSEに着いたらスゲー勢いで怒鳴ってやろうと思ってたら、
虎を積んでやって来たのは名刺の写真とはまるで違う顔の異国のオッサン。
余計な事は一切喋らずに虎を降ろすと帰りの道を聞いて去って行った。

つまり、こーゆー事だ。何度も電話してきて道に迷ってんのかと思いきや、
ハビエルのヤローは遠隔操作で異国のオッサンを操るという高等テクニックで、
REFUSEに虎を届けようとしたが、
説明された道を異国のオッサンに伝える→
オッサン進む。しかし迷ってハビエルに電話→
ハビエルが俺に電話して聞く。オッサンに電話→
オッサン電話が来るまでに勝手に進む。ハビエルに又もや聞く→
繰り返す事10数回。

人類皆兄弟と言えど日本で異国の人と話す度に思う。
日本に住むなら日本語覚えろ!!


でぇー、何だったっけ展示会の話だっけ。
連日、酔っ払いが続出する他のブランドじゃーまず無いであろう事態だったよ。
あー、疲れた。


+++4/9++


4月になってから何をやり始めてったかって話を書かない事には、
いつまで経ってもインフォメーションが現在時間に追い付かない事は知っている。
かと言って、一体全体引退したい理由は体力の限界って事をインフォメーション?
何を知らせる必要があるのかって事も知っている。
すなわち、起った事象や現象をダラダラと書き綴るから、俺。
後は、テメ−で考えなって話でしかない事も知っている。

4月ねぇ。何か初っ端から人と会ってメシ喰う事が多い。
思い返してみるに毎年この時期はそーゆーのが多い。
独りでいるとメシを喰うって習慣の無い、俺。
よくよく考えてみりゃー季節に関係なく、しょっちゅう人と会ってメシ喰ってる。
4月の第一週、一人目はNEXT FILE編集長の武藤さん。
「たまには夜じゃなくて昼飯でも」ってな話で先方へと伺う。
麗らかな春の陽射しの中、颯爽と待ち合わせ場所に、俺。
待ち構えてた武藤さんが開口一番
「陽の光が似合わない男ですねぇ〜」

奈良の大仏ぐれーにでっけぇお世話だ。
これでもREFUSEが森下に移ってからのフェイバリットスポットは、清澄庭園。
昼間っから鯉に餌とかやって、蛙の産卵とか眺めてんだぜ、俺。
まぁ、いいや。メシ奢ってくれたし。
人にメシに誘われて何が面白いかってぇと、
普段なら自分がまるで喰わない物を喰う事になったりね。
因にこの日は「かき揚げ丼」で、多分だが10年ぶりぐれーに喰った。
メシ喰いながらNEXT FILEの話をアーでも無いコ−でも無い。
P121は「L」が抜けてるよっとか、第十五巻じゃなくて第一巻のがとか。
長い時間、打ち合わせじゃ無くて、ただの話をダラダラごっそうさんでした。

そんでもって、日付け変わって翌日の夜。
第一週二人目はCOVER MAGAZINE編集長の松下さん。
この日は打ち合わせも含めてって事で、ダ−社長を単車のケツに載せて先方へ。
営業の堀口さん含めて四人で打ち合わせをし、
じゃあこれからメシでもって時に松下さんが、スーツ姿のダー社長を見てこう言った。
「なんか・・・、闇金の社長みたいですね」

ファッション誌の編集長にそーゆー見られ方してしまうダー社長は大丈夫なのか?
やはり、
   30歳超えて「趣味は日焼けサロンです」ってのがマズイのか?

それとも、
   本当は日サロは、酒焼けをゴマかす為だってバレているのか?

でもなけりゃ、
   マリッジブルーなオーラが身体から溢れているのか?

だとしたら、
 ・・・いやいや、止めときましょう。ダー社長の明るい未来の為に。

そんな話はさておいて、中目黒のメキシコ料理屋はやけに賑わってた訳で、
「DOG TOWN」の話からマリア信仰の話だとか、リアリズムの話だったり。
どーゆーふーに誌面に繋がってくのかが楽しみな食事でごっそうさん。

叉もや日付けは変わり第一週三人目は「THE RODEO CARBURETTOR」の鍛冶君。
本当は「JELLY→」のヤフミ君も来る予定だったが、
台湾で悪い病気を貰ったという事にして御大事にって欠席。

この日は、FUCKTORYの近くの行き付けの居酒屋で男二人で長い時間話してた。
世の中には様々な美学があるが、
何かを創り出す中で、本当に共通するような美学を持つ男に遇える事は少ない。
特に美学だけじゃ無くて行動してる男にはね。
負けねーように、気合い入れてかねーとなぁ、俺。
そんなワケで、更に鋭く研ぎすましていきたくなったメシだった。

さて、次は誰にメシを奢ってもらおうか?



+++4/22+++



誰かに会って、その人のストーリーを知るって事は、何かと勉強になる事が多い。
だが、まぁ、少し考えてみるにそれが、
「会う」ではなくて「逢う」でもなくて「遇う」って感覚だったらどうだろう?俺。
非常に興味深い別次元の生き物の話を聞かされたような感覚。
彼のストーリーはこうだ。

古の日本国の首都であった京都からやって来た彼は、
「ナッチョマン」
朝、目覚めると共に枕元から手を伸ばし
「ナチョス」を貪る。
お出掛け前の一杯は決ってアボガドシェイクのドリトストッピング。
まず、第一に彼の凄いところは
「ナチョス」の歴史を変えた事。
メキシコ料理である
「ナチョス」に独自の解釈で味を見い出した。
彼は、野望の第一歩としてワゴン車による路上販売で、
その味を広めようと
「ナチョワゴン」を製作。
上々のスタート。彼の
「ナチョス」の旨さにハマった人々が繁華街に溢れ出す。
しかし、成功とはそう簡単には行かぬもの。
路上販売での彼の成功を妬んだ他の飲食業者からの嫌がらせを喰らい、
特に
「ドネルケパブ」を路上販売しているトルコ人からは異常な攻撃を喰らい、
「ナチョワゴン」焼き討ちされ、
火を消し止める為にやむなく使用したサルサソースは100リットルを超えた。
しかも、消火活動に使用したサルサソースが焦げて発生した臭いが苦情を呼び、
路上での食品販売許可免許も奪われてしまう。
この事件のせいで、彼のトルコ人に対する恨みはMAXに達っし。
「例え、ソープランドではイッても、
            トルコ風呂には一生涯行く事は無い」
と彼は心に強く誓ったという。
本当に凄い男と言うのは逆境に追いやられた時に如何に跳ね返すかで決る。
事実、彼はその好例と言えよう。
自分の野望を積んだ
「ナチョワゴン」の焼けた残骸を見ながら、
彼の胸の中では新たな野望が燃えていたのである。
そう、自分の生み出した
「ナチョス」を本場メキシコで認めさせる事。
新たな野望と固い決意を胸に片道チケットを握りしめ、彼は単身メキシコに飛んだ!!


強い陽射しとサボテン。陽気なイメージの強いメキシコだが、
流石に異邦人が作る、メキシコ料理には厳しかった。
いや、許さなかったと言った方が正しいだろう。
しかし、それも当然だ。突然やって来たハポネス(日本人)が、
自らを
「ナッチョマン」と名乗り「ナチョス」を売り捌く。
しかも、それが異常に美味いという事実が火に油を注いだ。
遂には、彼に
「ナチョス」を作らせない為に民衆が発起、動乱が起ろうとしていた。
そんな折、身の危険を感じる彼に救いの手を差し伸べた人々がいた。
それは意外にも屈強で知られるメキシコ系ギャング集団チカーノだった。
ティファナに拠点を置くチカーノ達は、
始めこそ
「ナッチョマン」に対して敵対心を抱いていたものの、
その味わい深い
「ナチョス」に心を打たれ
「この味こそ我が民族のアイデンティティであるアトランの味」
と、彼の
「ナチョス」を全面的に支持する事になる。
かくして
「ナッチョマン」の味はチカーノを通じてLAにも届き、
カルト的な人気を誇る様になる。
彼は、このチカーノ達の協力に感謝の意を示す為、
麻薬取り引きと強盗によって生計を立てていたチカーノ達を雇い。
「ナチョワゴン」を復活させ、極悪非道だったチカーノ達に更正の道を開いた。
この現象をメキシコ国営テレビは、
「ナチョギャングの襲撃」と皮肉っていたが、
メキシコ全土に日本生まれの
「ナチョス」が広まり、
メキシコにおける彼のナチョスシェアは95パーセントにも及ぶと、
エル・レイの街には
「ナッチョマン・ストリート」なる繁華街が出来た程だ。
そういえば、こんな逸話がある。
ティファナを拠点とするチカーノ達がマイアミに大量の麻薬密輸を行う。
潜入捜査官によって、その情報を得たマイアミ警察とDEA(麻薬取締局)は、
マイアミの取り引き現場に表れたワゴンに乗ったチカーノ達を一斉に取り囲んだ。
激しい銃撃戦が繰り広げられ、殲滅されたチカーノ達を尻目に、
麻薬が積まれているであろうワゴンを調べると、
瀕死の状態になった男が、それでも必死にドラム缶を守っている。
これぞ密輸された麻薬とばかりに、男を引き剥がしドラム缶を開けると、
中身はなんと!!大量の
「ナッチョマンズ・チリビーンズ」だった。
「ナッチョマン」の作り出す「チリビーンズ」があまりに美味く、
一度食べた者は、病み付きになる為、
麻薬が混入されていると勝手に勘違いした末端のチカーノギャング達が密輸したのだ。
この事件は、DEAの調べで麻薬が混入されていない事が判明し、
時のアメリカ大統領は「誠に遺憾なチリビーンズである」との公式声明を発表した。
今でもマイアミ警察署では潜入捜査の汚点を忘れぬ為、
新署長は就任の際に
「ナッチョマンズ・チリビーンズ」を噛み締めるという。


アメリカは夢を掴もうとする者には、このうえなくチャンスの多い国だとされている。
だが、建国二百年を経てもアメリカには侵略と人種差別の歴史は根深く残り、
特に米墨戦争(1846〜1848年)でアメリカに敗戦をきっしたメキシコは、
金鉱や油田を奪われ、今現在も敗戦国として虐げられている感は否めない。
敗戦によってアメリカに統合されずとも、略奪され植民地に近い扱いを受ける国。
そう、メキシコ人。そして日本人にとって、
一獲千金のアメリカンドリームは、奪われた自分達の財産を如何に取り戻すかなのだ。
もはや、メキシコでのシェアを獲得した
「ナッチョマン」は、
更なる野望を抱き、アメリカ進出を目指した。
すでにチカーノ達によりアメリカ西海岸では、
カルト的な人気を誇っていた彼の
「ナチョス」ではあったが、
郷土愛的な味はヒスパニック系の民衆に受け入れられているだけに留まってしまい、
アメリカンドリームを掴む為の必須課目である、
派手で高級嗜好のハリウッドセレブレティには届かなかった。
そこで、彼は高級食材を使用した
「フォアグラ・デ・ナチョス」「デラ・ナチョス」等を開発。
その味は、かの名俳優ロバート・デ・ニーロさえも
「高級テキーラ・パトロンに合うのは、
               ナッチョマンのナチョスしかない」
と、まで言わしめた程であり。
彼は
「セレブレティ御用達高級ナチョスはナッチョマン」と称される。
セレブレティのパーティーに
「ナチョワゴン」で乗り付けて働く日々は、
いつしか、ビバリーヒルズにある
「ナッチョマン」の邸宅
「ナチョ御殿」にセレブレティが集まる日々に変わり、
乱れ飛ぶドル札、宙を舞うシャンパンのコルク、裸体をさらすビッチ。
連日連夜パーティーハードな時間が繰り広げられる事になり、
加速度的に熱を上げて
「ナッチョマンブーム」が巻き起こる事となる。
自らの味が国を超え、遂にはアメリカンドリームを掴んだ。
かに見えた。

後のFBIによる公式発表は以下の通りである。
「ビバリーヒルズにおける銃乱射事件は、通称「ナチョ御殿」で起り。
ティファナを拠点とするギャングとサンディエゴを拠点とするギャングによる、
チカーノ・ギャング抗争の一端と見られる。
高級ナチョスの販売で知られる「ナッチョマン」は、
ティファナ系チカーノにとって重要な資金源であり、
サンディエゴ系チカーノの標的となった事は疑いの与知が無い。
尚、この抗争による死傷者は多数を極め、
当局は、資金源である「ナッチョマン」を重要参考人として、その身柄を拘束した」

禁固刑こそ付かなかったものの、
この事件で
「ナッチョマン」に対する信用は著しく低下し、
過去のDEAによる麻薬勘違い事件を元ネタに
「ナッチョマンのチリビーンズには麻薬が混入されていた!!」
と言う見出しと共にパーティーハードな写真をゴシップ誌は挙って掲載した。
誰も彼の
「ナチョス」を口にしようとはせず、
中には「コーンチップスにコカインを混入させて密輸している」と言う者さえいた。
こうして、掴んだはずのアメリカンドリームは、
熱の上がり過ぎた彼の手で、サワークリームのように溶けてこぼれ落ちていった。


苦しい状況に置かれた時こそ、人はその真価を発揮するという。
誰も手を差し伸べようとしない孤独の中でこそ、才能は激しく開花する。
その時、誰もがブチ当たるのは「自分にとっての原点は何か?」という問であろう。
「ナッチョマン」にとっての原点。
それは、日本生まれの
「ナチョス」を世界に広めるという野望。
そう、彼は再び目覚めた。
ここで、諦めて母国の土を踏む訳にはいかない。
日本が世界に誇る料理とは何か?
「成功」という二文字を胸に刻み込む者に共通するキーワードは、
「才能」「努力」「行動力」の三拍子。
そして「アイデア」であることは歴史を振り返らずとも知れよう。
彼が導きだした答は
「寿司」だった。
しかし、生の食材を使用する
「寿司」
オーブンで焼き上げる
「ナチョス」には取り入れられない。
そこで彼はアメリカ西海岸という土地を巧みに活用し、新たな味を生み出す。
それが、今でも語り草になっている
「ナチョス進化論」の原点である。
「スパイシー・ツナ・ナチョス」「カリフォルニア・ナチョス巻き」
そして、日本の「酢」を用いた
「ナチョ酢」
誰もが真新しい味に驚愕し、瞬く間に西海岸を制覇した。
勢いに乗り、
「ナチョミルク」なるコーンシリアルを開発。
彼は、子供に大人気となったこのシリアルを児童福祉団体に毎年寄付する事を決める。
加えて、長年続くチカーノ・ギャング達の抗争を終結させる為、
元凶となっている貧困を無くそうと
「ナチョミルク工場」への就職斡旋と
「ナチョワゴン」による路上販売をフランチャイズ化。
このFC事業は、ワゴンを無償で提供する等の好条件であったため、
全米各地に
「ナチョワゴン」のFC加入者が殺到。
ワゴンから流れるテーマソングのメロディー
「ナ〜ッチョ♪ナッチョナッチョ♪ナッチョマ〜ン♪」
は、アメリカ国民ならば知らぬ者はいないだろう。
そのメロディーを聴いただけでアメリカ人労働者は、
仕事の後の一杯を「ナチョス」をツマミに飲み干す事を思い浮かべ、仕事に励むのだ。
また、子供達にとっては、テレビ番組に出演し、
テーマソングを歌って踊る
「ナッチョマン」はヒーローとして目に映り。
メキシコ人にとって、もはや
「英雄」「ナッチョマン」は、同義語ですらある。
ここまでの成功を収めながらも彼は活動を広げ、
自ら運転する
「ナチョワゴン」で児童福祉施設に乗り付けては、
歌って踊り
「ナチョス」を振る舞うチャリティー活動まで始めた。
そんな多忙を極める
「ナッチョマン」にある日、思わぬ事が起る。
それは、一本の電話から始まった。

突然、掛かって来た電話の相手は自分を「ボノ」と名乗った。
そう、世界的ロックバンド「U2」の「ボノ」である!!
ボノのチャリティー活動は誰もが知るところで、
時には政治を大きく動かす事すらある程だ。
そんなボノが、
「ナッチョマン」の活動に心を打たれ協力したいと言うのだ。
ちょうど、その頃。TV番組に出演する
「ナッチョマン」を観て、
自分が彼をプロデュースしたいと打診して来た男がいた。
その男こそ「METALLICA」等のプロデュサーで知られるボブ・ロック。
「ナッチョマン」は二人の申し出を快く受け入れ、早速レコーディングに入る。
ここに、かって無かったメキシカンをベースにした、日米英の同盟が組まれた。
あまりにもアバンギャルドなコラボレーションに全米は震撼したが、
リリースされたアルバムは周囲の心配をよそに全米NO.1を記録。
初回限定版のコーンチップ製ジャケット(サルサソース付き)は、
今でもオークション等で高額取り引きされるプレミア物になっている。
特にシングルカットされた
「恋のサンターナ」
「ダンシング・ワカモーレ」
「ナッチョマン イン ニューヨーク」
は、全世界累計1500万枚を売るヒットを飛ばした。
ちなみに、このアルバムを聴いたマイケル・ジャクソンは、
「彼と一緒に「WE ARE THE WORLD」を歌いながら児童施設を廻りたい」
と申し出ているが、児童養護団体によって拒否されている。

アルバムが発売されて半年が経つ頃、ボノとのワールドチャリティーツアーが行われた。
全世界の主要都市を廻り、ファイナルをメキシコでのビッグ・フェスで締め括る。
活動に共感したアーティストが世界中でフォロアーとして参加し、
ロバート・ロドリゲスとクエンティン・タランティーノが共同監督で記録映画を製作。
「ナチョ・ザ・ムービー」として知られるその映画は、
メキシコをはじめ、北米や中東ですら社会科の授業で学生に観せる程の感動作だ。
チャリティー活動を通して
「ナッチョマン」は、
アメリカコーンベルト地帯に端を発する、国際的な穀物市場問題に果敢に切り込んだ。
一部の資本家によって支配されている穀物市場が巻き起こす世界経済における問題、
それこそが人類の平和を阻止しているのであり、貧富の差を生むのだと。
「ナチョ&ピース」をスローガンに巻き起こった運動は、
巨大なムーブメントとなり、
遂には
「ナッチョマン」がアメリカ大統領選に出馬するとまで騒がれた。
その渦中に彼は記者会見を開きTV・ラジオ・インターネットを通し声明を発表している。
全世界同時通信となったこの会見は後に
「ナチョタイム」と呼ばれる事となる。
なぜならば、会見時の視聴率は世界平均80%を上回り、
インターネットではアクセスが集中し過ぎてサーバーがパンクする程だったからだ。
会見で、大統領選に出馬する意志の無い事と全財産を
「ナチョ基金」として活用し、
貧しい国の人々・恵まれない子供達の為に尽くす財団法人の設立を発表。
彼は会見の最後をこの言葉で締め括った。

「私の夢は、いつの日か赤土の丘の上で肌の色の違う子供達が、
同じ様に座り同じ様にテーブルを囲み分け隔てなくナチョスを食べている事です。
人は生まれながらに誰でもナチョスを食べる権利があります。
その権利を何不自由なく使いナチョスを食べる時、同士達よ革命の地で君を包容する」

一斉に会見会場が拍手と歓声で沸き上がり、深々と頭を下げる
「ナッチョマン」
鳴り止まない
「ナッチョマン・コール」に応える様に彼が右手を上げる。
その時!!
銃声が会場の空気と歓声を切り裂き、一瞬にして感動を惨劇に変えた。
狂気の弾丸は、頭部に一発・腹部に二発撃ち込まれ、
サルサソースよりも赤い液体をまき散らして彼はその場に倒れ伏した。
会場警備にあたっていた警察官が狙撃犯を捕らえようとした時、
狙撃犯は手榴弾のピンを抜き、こう叫んで自爆した。

「ドネルケパブ万歳!!」


多くの人を救おうとする行為は、同時に多くの人を犠牲にする可能性も孕んでいる。
だが、信念に基づいて行動している者は、時として盲目的になり大局を見ない。
野望は行動によって信念に変わり、成功によって信念を正義と思い込む。
晩年になって
「ナッチョマン」は、自伝の中で述べている。
そう、彼は生きていた。
奇跡的に一命を取り留め、騒動に幕を降ろすかの様に日本に帰国。
故郷の京都の地を踏んだ時、
感動の余りか、怪我のためか、その場にしゃがみ込んだと言われている。
晩年の彼は、ゆっくりとした時間の中で
「ナチョス」を研究し、
八ツ橋を使用したナチョス
「ナチョ橋」「ナチョサブレ」を発表。
誰からも愛される土産物として好評を得ている。


いやぁ、しかし。ッスゲ−奴がいるもんだな、感動したよ、俺。
ここまでのストーリーを持ってる奴には、そう簡単には遇えないだろう。
まぁ、判ってるだろうけど全部ウソだけどね。

ここまで読んでくれて御苦労さん。
それよりも、ここまで書いてて御苦労さん、俺。
クダラネー事書いてねーで、仕事しよ。



+++4/26+++


「WALKING BOMB」って知ってる?

発火装置は「そ−いえばさ」起爆剤は「らしいよ」で、大体は出来てます。
さて、どーゆー事かというとだね、俺。
例えば、A君という人がいて、◯○というSHOPに行きます。
そこでこんな話を聞きます。
「×××ってブランド、もうヤバいらしいよ」
さぁー、来た!!夢の起爆剤を搭載。
ここからA君の中に眠っていた、
プルトニウム239「勝手な解釈」の周りを埋めていく爆薬「下手な情報」。
雑誌、インターネット、友達から聞いた話し、また聞きのまた聞き。
大変だ、爆薬は至る所で簡単に手に入るぜ。
A君が歩けば歩く程に爆弾は大きく完成されていく。
そして、A君が△△というSHOPに行った時に言う・・・。
「そーいえばさ、日本アクセサリー協会って潰れたんだって」

        
ボッカーン!!
核爆弾が見事に爆発。吹っ飛ばされたぜ「日本アクセサリー協会」さようなら。
放射能に汚染されたSHOPのスタッフは、
他のお客に「らしいよ」って起爆剤を渡し、ネットに「下手な情報」って爆薬を撒く。
あ〜大変だこりゃ。
こーゆーような、歩き回って大きくした情報爆弾を爆発させてるような現象。
これを業界では
「WALKING BOMB(ウォ−キングボム)」と言います。


はい、そうです。
見事にウソです。
勝手に名付けました、俺。
まぁ、でもよー。シルバーアクセ業界に限らず、何処にでも起るこの現象。
誰が悪いとかって問題では無く、問題なのは憶測と解釈。
事象も情報もそこいら中に転がってんだから、
あとは受け取る側が如何に自分の中にある思考と合わせるか。
プルトニウムなら爆弾になっちまうし、プラネタリウムなら夢見ちゃうし、
ってな話でしょ?っしょ?


あっ、ちなみに。
「日本アクセサリー協会」は、マジでぶっ飛んだ・・・・・らしい。


+++4/30+++


四月ってよぉ、何か知らねぇーけど祝い事とか多いよな。
加えて、打ち合わせとか飲み会とかも多いよな。
今を遡る事、7年前ぐれーにスケジュール帳を破り捨ててから、
スケジュールは全て頭の中、俺。
ちょっと今月の中盤戦ぐれーからを引っぱり出してみよう。

17日
「NEXT FILE」編集の方々と飲み会。
雑誌の打ち上げ?それとも報告会?でも、なけりゃ勃起の確認?
まぁ、いいや。次までには社会と文化の話を80%は理解して下さいね、河口さん。
電車の乗り方が解らないからってそんなに馬鹿にするもんじゃ無いですよ、藤井さん。
18日
この日は時計の針が深夜0時を過ぎた時点で既に忙しかった。
つまり「NEXT FILE」の飲み会が終わって、工房に戻ってから休む間も無く作業。
作業が落ち着いたところで、食材の仕入れ。あっち行ったりこっち行ったり。
「GOOD FELLOWS」のレイ・リオッタなみに料理と作業と仕事を終わらせる。
この日は、森下で働く社長・株式会社HEAT代表取締役 小野田氏の誕生パーティー。
朝の出勤と同時に強制的に鶏の丸焼きとか、牛肉の塊とか、無理矢理食わされて、
一時間もしない内に6人でシャンパンの空き瓶は7本、日本酒1本、メロメロシェイク。
この日は時計の針が昼の12時を過ぎる頃には工房がゲロまみれ。
饐えた悪臭の中で深夜に独り作業するのは辛かった。
19日
巨匠・加藤氏の誕生日とか色々祝ってメキシカン・パーティー。
連続する作業と飲み会の合間に行く買い出しは危険だ。
頭の回転がすこぶるイカレタ方向に進むので、足し算の足し算でしか物を考えない。
持ってる皿を買ったり、必要無いアボガドカッターを買ったり、余計に人呼んだり。
献立は、ナチョスに始まり定番のタコス、メキシカンサラダ、
スウィートチリチキン、エビのテキーラ炒め、スパイシービーフシチュー。
毎度、何かしらの祝い事をやる度に工房の作業場が調理場になる。
そして、その後に何とも言えない臭いの中、独り作業をする。
この日の酒、テキーラ、マタドール、ラムコーク、メロメロシェイクにメロメロソーダ。
音楽は、TOM WAITS「HEART OF SATURDAY NIGHT」巨匠にぴったりだ。
深夜にハイエナがやって来たが、プレデターにしておいた。余りに臭いので。
20日
死人に近い状態で製作作業・打ち合わせ。
四日間も寝て無いと少しばかり頭の中身がゾンビに染まってくる。
21日
COAL BLACKの小川さんと打ち合わせ。
無理を言われるのは慣れてるが、言われるのが好きな訳では無い。お互いにね。
夜はキャスト屋のオッサンと呑み。メロメロソーダ。
22日
master mind JAPANの本間さん藤田さんと打ち合わせ。
相も変わらず、仕事とまったく関係ねー話のオンパレード。
何故か出て来た話題「何で、俺達って雑誌に嫌われてんだろうね?」
「東京王子」とかクダラネー企画考えてるからに他ならない。お互いにね。
23日
チョムが入院。バイバイサンキューベリマッチ。
24日
森下で働く社長・ダーさんが大阪出張。
社長がいないので、朝から皆で仕事サボって秋葉原。
河口さん今度は冥土喫茶に連れてってね。
25日
サイトのリニューアルとか出荷とか撮影のネタ考えたりとかメロメロ。
26日
legendの六周年。ベリベリオーケーおめでとさん。
27日
メロメロの研究。
28日
撮影と片頭痛。
29日
ドイツパン。
30日
荒川。

まぁー、こんな四月だったはずだ。
世間がゴールデンウィークとかで、労働者階級に優しくしてる間にも、
休み無く動く浮浪者階級のメロメロソーダが呑みたけりゃFUCKTORYで待ってるぜ、俺。




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