BIOGRAPHY/バイオグラフィー

2000年8月 「LEATHER・SILVER・DESIGN」をマテリアルとしたブランドとして頭文字をとって名付けた「L.S.D」をスタートさせる。
当初、現在のGALLERY/FUCKTORYを有するREFUSEではなく、仕入れたシルバーアクセサリーを販売するSHOPとして機能していたREFUSEで、高蝶の発案の元、当時のスタッフと共にスタートさせたのは、シルバーパーツを組み合わせたアクセサリーだったという。
当時を振り返って高蝶はこう語る
『ブランドをしっかりスタートさせるってよりも、何かスタッフ達と皆でやるバンド的な行為がしたかった。まぁ、今にして考えるまでも無くお粗末なアクセサリーってヤツだったね。でも、基本的なアイデアってのはあそこから膨らんだって考えると無駄じゃ無かったって事』

2001年9月 パリで行われる展示会「WHOIS NEXT」に参加する事が決り、高蝶はそれまでの自分の作品を振り返ると同時に海外への挑戦という機会に、新たな何かを創り出したいという衝動に駆られ、闇雲に製作に打ち込んだ。
製作者としての欲求、スタイルの追求、この時点から貧欲な挑戦を発端に、妥協なき姿勢は正確にコントロールされ「L.S.D」は大きな転機を迎える。

2001年11月 ブランド名称を「Loud Style Design」とし、コンセプト・テーマ・ストーリーを兼ね備えたブランドとして1st style「RAIN DOG」を発表し、新たなスタートを切る。
尚、この時点から高蝶が全てのデザイン・原型・製作を担い他のスタッフがそれをアシストする現在のスタイルになり。正式なブランドのスタートとなる。

2002年4月 「RAIN DOG」に更なる力強い造型美を持たせるため原型を創り直し、1st styleとしての区切りを付ける。
この頃から2nd style「Lily Dust」3rd style「GET IN THE RING」の原型製作が同時進行で行われていた。

2002年8月 シルバーアクセムック「NEXT FILE」の企画で、PIERROTの潤氏、EXILEのSHUN氏とのコラボレーションを行う。
雑誌の企画という性質に高蝶は多大なストレスを感じ、それが「another hell」の原型製作にぶつけられたという。

2002年9月 ニューヨークにて行われる展示会「WORK SHOP」に参加。
2nd style「Lily Dust」はこの展示会で初めて発表された。
展示会での好評もあり、レディースのアパレルブランドとのコラボレーションで「Lily Dust」をカスタマイズしたシリーズも発表されるが、逆にそれが高蝶を悩ませ原型製作が12月まで一時的にストップする。

2003年1月 パリの展示会「TRANOI」に参加。
この当時のLoud Style Designラインナップは「RAIN DOG」「another hell」「Lily Dust」同時にレザーアイテムのコレクションを本格的に開始する。

2003年5月 Loud Style Designとしては初のイベント「JUNKIE STRIP」がDEMAとの共同プロジェクトとして2005年まで行われる。
それまでも海外の展示会で彫金の実演を行っていた高蝶だが、この時からイベントにおけるブランドの在り方を深く考え、後にライブブランドと称されるまでに発展していく事となる。

2003年7月 シルバーアクセ業界どころかファッション業界を含めても他に類を見ない、全国10箇所を廻るブランドとしてのイベントツアー「Hell OUT!」を敢行。
リアルタイムで彫金を行いカスタムアイテムを創り出すスタイルはこの時からスタートし、それまで業界の他ブランドが行ってきたイベントに対して、Loud Style Design/高蝶智樹が破壊的にアティテュードを叩き付ける結果となる。

2003年9月 シルバーアクセムック「NEXT FILE」にて「最も危険な高蝶智樹」と題したLoud Style Designサイトとの連動企画を行い、業界全体に大きな波紋を起こす。
それまでも雑誌やインターネット等のメディアでの高蝶の発言は、物議をかもし出したが、この企画では特に高蝶の痛烈な発言だけで無く、その哲学的な部分がインタビュー形式で多く語られている。

2004年3月 パリの展示会「TRANOI」に参加。 ここまでのLoud Style Designの代表的な作品に加え、オブジェ等も多く製作され取引先はロンドン・ミラノ・ロス・ニューヨーク・香港・ロシアと広がりを見せたが、高蝶はブランドのレベルアップの為にこの展示会以降しばらく海外での展示会を控える事になる。

2004年7月 ツアー「MAKING FUCKER」がスタート。
全国11箇所を廻るイベントツアーはライブブランドとしての成長を見事に魅せ付ける内容で、ユーザーがチョイスしたシルバーピースを高蝶がその場でカスタムアイテムとして完成させるという前人未到のイベントスタイルを披露した。
更に8月のツアーファイナルイベント終了時に、ブランドの心臓部であるREFUSEの新たなギャラリーをオープンさせるサプライズイベントを行い、明確にブランドのレベルアップを示してみせた。

2004年9月 シルバームック「NEXT FILE」誌上にて3rd style「GET IN THE RING」が一部発表される。
同時に誌面との連動企画として「NATURAL BORN FUCKER」と題した書き下ろしの文章をサイト上で掲載している。
それまでの誌面上でのインタビュー形式による攻撃的な発言とは違った面を魅せている。

2005年2月 deaf breed/高橋氏と共にロスへ渡る。
海外ブランドとのコラボレーションプロジェクトの為の渡米だったが、結果としてこのプロジェクトは中止となった。

2005年3月 シルバームック「NEXT FILE」誌上企画にてPIERROT/キリト氏 ZIGGY/森重氏とのコラボレーションアイテムがリリースされる。
同時に2004年から製作されていたdeaf breed/高橋氏とのコラボレーション「Nightmare」が発表されるが、高蝶曰く『デシ(deaf breed/高橋の略)と気紛れでやった遊びだからリリースとか考えなかった。創った、楽しかった、ハイお終いってヤツ』という作り手のエゴイズムのみのコラボレーションであった。

2005年7月 ツアー「ReLOAD the HELL」がスタート。
ツアー限定アイテムが全てワンメイクで製作され、オークション形式で販売されるという新しい試みが成されたこのツアーは、「RAIN DOG」「another hell」を統合し1st styleを完成させるというツアーコンセプトの元に行われ、8月まで全国10箇所を周りながら、次々と新作を発表して行く画期的なツアーだった。
同時のこのツアーからゲストクリエイターを招いてのイベントが行われ定番化して行く。

2005年 8月ツアー「ReLOAD the HELL」終了直後に同タイトルでの展示会が行われる。
国内でLoud Style Designとしての展示会はこれが初となったが、展示会当日にツアーと製作の疲労から高蝶が病院に運ばれるアクシデントが起り、ツアーの過酷さを物語る結果となった。

2005年11月 BACK BONE THE VINTAGEとのコラボレーションが「SENSE」誌上で発表される。
実験的に行われたコラボレーションはその後、不定期に継続して行く事となる。

2005年12月 DEMAとの共同プロジェクトで2003年から行われてきた「JUNKIE STRIP」がファイナルとなる。
VS形式でイベントを行うとして、Vol.08(10.29)S,F,D/古谷尚人vol.09(11.26)F,A,L/山本義幸をゲストクリエイターとして迎え、Vol.10では高蝶が「自分自身と闘う」としてイベント時間を10時間(結果として延長し12時間となった)一切休憩無しで、連続彫金を行う壮絶なイベントとなった。

2005年12月 CUSTOM&ART EXHIBITION「FUCKING DEATH ROCK」を行う。
シルバーアクセサリーの新しい可能性とブランドとしての成長を示すこの展示会は、トータルスタイルを演出するLoud Style Designならではの展示会で、その後のブランドの方向性を大きく示していた。

2006年1月 BACK BONE THE VINTAGEとのコラボレーションイベントが行われ、Loud Style Designとしては初のスタッズワークの実演によるイベント参加。

2006年3月 シルバームック「NEXT FILE」にて「THE NUMBER OF THE FUCKER」と題した無言のページが掲載。
このページはLoud Style Designサイト上で一般ユーザーからの意見を受け付け進行していく騒がしい企画のスタートで、同年5月に発売されたシルバームック「シルバーアクセスタイルマガジン」に掲載された「LOUD N' ROLL」まで続けられる。
尚、訴訟問題にまで発展しかけていた高蝶の発言を考慮して、この企画はサイトから抹消となった。

2006年7月 ツアー「GET IN THE RING」がスタート。
ライブ形式の「RIGHT NEXT DOOR TO HELL」展示会形式の「CIVIL WAR」の2スタイルに分けられてのツアーは、パリの展示会「TRANOI」への参加を含む15箇所で行われた。
内容・イベント数共に前人未到の最大規模のツアーとなったが、「TRANOI」での彫金実演が展示会主催者側からクレーム対象となり、翌年展示会への出展を拒否される事となる。

2006年9月 EXHIBITION「GET IN THE REFUSE」がギャラリースペースを拡大したREFUSEで行われ、3rd style「GET IN THE RING」の全貌が発表されると同時に「master mind japan」「BACK BONE THE VINTAGE」「AG」とのコラボレーションアイテムが発表される。

2006年10月 高蝶が単独でツアーを行うとして「ROLLING THUNDER ROAD」がスタート。
一ヶ月間で全国6箇所のイベントを全て一人で行うという無茶な内容だったが、結果として中止になったSHOPや、イベント中断などの問題が起り、Loud Style Design/高蝶智樹の危険性が浮き彫りになるツアーとなった。

2006年12月 それまでのイベントとは違った試みとして、新作原型をその場で創り展示会を行った EXHIBITION&CREATION LIVE「LOUDER THAN LOUD」。
このイベントで高蝶の口から2007年に行う「LOUD SPEED DRIVE」を最後のツアーとし、ディーラーショップへのアイテム供給の終了・シルバームックでのLoud Style Design/高蝶智樹としての発言・登場を2007年12月までとする事が告げられる。

2007年3月 EXHIBITION「APOCALYPSE OF HELL」にてレギュラーの3スタイルとワンメイク&カスタムのコレクションの明確な違いが示されると同時に、シルバーアクセムック「NEXT FILE」にて「CLAIM RESPONSIBILITY THE DESTRUCTION」のタイトルで、ツアーやムックでの高蝶の露出、ディーラーショップへの供給の終了が報じられる。

2007年5月 シルバーアクセムック「シルバーアクセスタイルマガジン」誌上で、「CROWS」とのコラボレーションが発表されると共に、同時期に撮影された映画「CROWS ZERO」にも衣装協力で参加。

2007年7月 最後のツアーとなる「LOUD SPEED DRIVE」がスタート。
ファイナルツアーに相応しく、それまでのLoud Style Designの培ってきたブランド力を最大限に発揮し、ワンメイクやカスタムアイテムだけで無く、コラボレーションアイテムの内容も凄まじい事になり、ツアー終了後に高蝶が『他のブランドじゃ、到達出来ない世界を創り出した』と語った程。

2007年9月 EXHIBITION「DEVIL'S OUTBLAZE」にてREFUSEがGALLERYとFUCKTORYの二箇所でユーザーに向けて稼動する旨が報じられる。

2007年9月 シルバーアクセムック「NEXT FILE」にて「FINEL DEVIL RATTLE」のタイトルで、高蝶がカバーのスタイリングから巻末の編集長との対談まで、とにかくLOUDなSTYLEをぶつけまくる内容の企画を敢行。

2007年10月 FUCKTORY REFUSEのオープンパーティー「DEVIL'S NIGHT」にて、Loud Style Designのレギュラー3スタイルとは別に「THE NUMBER OF THE FUCKER」が発表される。ブランドのというよりは、高蝶の基本に立ち返ったようなモーターサイクルカルチャーがストレートに表現されたコレクション。

2007年12月 締め括りとしてでは無く、新たなスタートを切る意味でのイベント「Everybody Ready?!」が行われ、2008年からのLoud Style Designも変わらないスタイルを貫く事を実感出来る新作が発表される。
同時に実験的な要素も含まれたイベント内容が、一つの世界に終わりを告げ、新たな世界を構築せんとするLoud Style Design/高蝶智樹のこれからを示した。